8月は暑い日が続きました。私が子供のころの8月というと、炎天下に野球部で毎日練習をしていたことを思い出します。とにかくつらかったのは、水を飲んではいけないことでした。
当時は、水を飲むと体が思うように動かなくなると信じられていたのですが、その根底には、つらい練習に耐えること自体に意義があるといった、一種の根性論があったように思います。その頃は、漫画もスポーツ根性ものが全盛で、きびしい練習の末に甲子園に出場したエース投手が、試合で負傷したにもかかわらず、決勝ではそれを隠して投げとおすといったストーリーが人気を集めていました。
そういえば、この夏には甲子園の予選大会の決勝にエース投手が登板を回避したというニュースが世間をにぎわせ、賛否両論が出ました。投げるべきだったのか否か、どちらが正しい選択だったのかは、ほんとうの事情を知らない第三者がなかなか判断できるものではありませんが、スポーツをやることの意義や効用を、それぞれの立場から冷静に、あるいは合理的に考えようとする気運は盛り上がっているように思います。
実際スポーツには、競技者として、あるいは観客として楽しむことのほかに、健康の維持や増進、強い精神力の育成などさまざまな効用があります。さらに、地域振興に活用する事例にも事欠きませんし、社会的な問題を解決する機会を提供する可能性も少なくありません。来年の東京オリンピック?パラリンピックも、日本から世界に向けて様々なメッセージを発信するまたとない機会になることでしょう。
さて、同じく来年の4月には、駿河台大学にスポーツ科学部が誕生する予定です。スポーツでの学びを通じて、健康で文化的な生きがいのある社会を構築する人材を育成することが目的です。スポーツの持つ可能性をいかして、将来の途を切り開き、社会や地域に貢献しようという若者たちを育てたいというのが私たちの願いです。ご理解とご支援を賜りますようお願いいたします。